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まずこの物語の最初にあたって。この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

このマンガの「付録コーナー」について 

他のマンガページの第1ページにも書いていますが、検索エンジンのBOTなどの誤認によりこのブログのマンガのデータが、いわゆる「重複コンテンツ」として 『コピーした画像データと、コピーした文章が1行あるだけの不正ファイルが大量にあるブログである。』 と判断されてしまうのを予防する為に、例えば「付録テキスト」として文章で何行かを付け加える、あるいは「付録イラスト」としてお蔵入りしていた画像データを出してみる、それらの事を総称「付録コーナー」としてやってみようかと考えています。

あくまで「付録コーナー」なので、その形態はゆるい形になっています。純粋にマンガのみを楽しみたいという方は、無理な形でこれらのファイルにさわらなくても、まったく大丈夫ではないだろうか、そう考えています。よろしくお願いします。

2021年6月27日の「付録コーナー」

2012年頃に書いて、その後2020年に引っ込めてしまった文章を、付録テキストとして載せておきます。文章のタイトルは "『Krafty』を繰り返し聞く" というものです。

『Krafty』を繰り返し聞く

『ゲルニカ』というマンガから、1970年代の市民会館とか講堂の様なホールを想像で描いたコマを、加工して載せました。

記事タイトルの『Krafty』とはニュー・オーダーというバンドの曲名からです。この原稿を描いている時にヘッドホンで延々とリピートさせながら聞いていました。

その事に関連しての追記をしようと思うのですが、ここから先に書く内容は個人的な体験に基づくものなので、一般的な事柄と言えるかどうかはわかりません。

それに加えて、聴覚を通じて脳に認識される音声が記憶の再生トリガーになっているのかどうか、自分は確かな事は言えないという事をまず前提として、以下文章を続けます。

これまでに自分が集中して絵を描いている場合、並行して繰り返し聞いていた音楽やリピートされていたラジオの音声等があったとします。

それらと同じ音源をそれから数年後に再び耳にしたりすると、当時の絵を描いていた時の気持ちや周囲の情景、場合によっては食べていたものの味や匂いまで、覚えてはいないと(多分脳はそう認識している)思っていた記憶が突然すごい勢いで頭の中に蘇ってくるという様な、そういう感覚を受ける事が時々あるのです。

この『Krafty』という曲も数年後に聞き直してみた時に、やはりそのような(この場合は2011年から2012年ぐらいの感覚が蘇る様な)ものを感じました。

そういう気がするという、ある種の既視感に似た錯覚(気のせい)なのかもしれません。

郷愁を伴う風景や空気感、その反対に忘れたくて仕方が無かったつらい記憶あるいは楽しかった事、それと相反する悲しかった事、それらが脳内でいきなり強制的に再生される様な感覚を受けます。

イメージ的には古いオープンリール型テープデッキの重い再生レバーが前ぶれ無しに回される感じです。ガッシャン。

人間の頭の中は面白いなと思うと同時に、何かある物事をよく理解していると考える自分の脳のふるまいが、実際は何もわかっていないのとほぼ同義である場合もあり、知っていると思っている事は実は何も知らないでいるのと変わらない、そんな場合もある。

以後『Krafty』という曲を聴く度にちょっとそんな事を思い返す様になりました。

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