Undersea (appetizing diving suit)

ジュール・ヴェルヌの小説に出てきそうな潜水服を描いた絵

いつも描いてみて後から不思議に思っていたのですが、昔からこういう少し懐古調の雰囲気を持った機械やアーマーなどを描いた場合、色をつけるのに散々迷ったあげく結局この絵の様に茹でた蟹とか海老みたいなおいしい風に着色をしてしまいます、自分の場合ですが。別にエビやカニを食品として特に愛しているわけでもないのにそれは何故なのか、描く度に後から疑問を抱える事が度々ありました。

で、これは自身にとっての何か発想というかイメージのルーツがどっかにあるに違いない、と思って記憶の井戸を覗いてきたのですが、しっくりくる解答がずっと得られませんでした。海だから『南海の大決闘』のエビラ、ってそんなん海老じゃん…

(ただ考えてみると、エビラは活動しながら茹でられた伊勢エビの色をしています。生きているのになぜ茹だっているのか?という部分に突っ込んだりするよりは、海底火山の地熱や何かの影響でどうこうとか、その茹でられた色を持つ生物が存在する理由を補う拡大解釈を行う方が観客として前向きな豊かさがある様な、そんな気がします。

更に加えて書きますが、それから数年後の1970年作品『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦! 南海の大怪獣』という映画のガニメという怪獣もどっちかというと茹でてある様な色をしています。どちらも東宝の映画です。そう考えると東宝特撮映画の甲殻類怪獣は美味しそうに茹だった色であるがその理由は果たして何だろう、メタファー的な何かの想いがそこにあったのかもしれない、という様なある種鑑賞する側の解釈までもエンタテイメントの要素として飲み込んでしまう懐の深さが、特撮映画や怪獣映画にはあるかもしれないな、と少し思ったりしました。

一方、翌1971年から放送が始まった『帰ってきたウルトラマン』に登場したザニカとかヤドカリン等の甲殻類っぽい怪獣は、水揚げされて調理前の様な、とれとれぴちぴちエビカニっぽい色をしていました。自分はそこに、これまでの類型をただ否定するのではなく創意工夫で違うスタンスに変えて立つ、という現役時代のバットマン落合博満さんの様な仕事への真摯な姿勢を感じます。また同時に、製作した1970年代当時の円谷プロダクション及びその周辺スタッフの方々が持っていたかもしれないアメリカンニューシネマとのシンクロニシティまでに及ぶ様な気概と革新性を個人的に想像し、ちょっと勇気付けられたりもします。

類型と革新、そのどちらの文化も甲乙つけがたく自分は好きなのですが、申し訳ありません、だんだん書いていてどこに向かってんだかわかんなくなってきてしまったので、ここら辺にて当記事への追記を終了しますが、書いた事は割と真剣に普段から思っている事です。

また、茹でられた甲殻類の色とはまた違うベクトルでの、仮面ライダーの怪人シオマネキングの色彩と造形の革新性についても追記として書こうかと思いましたが、ほんとに長くなりそうなのでまたいつか改めて書く事にしました。)

…とか、色々考えてきて最終的にあれかなあと最近になって思い当たったのが、鉄骨でした。

ビルの鉄骨。たぶん大昔のトムとジェリーにあった、赤ちゃんがビルの建設現場で危機一髪ネタの鉄骨とか、『バッタ君町に行く』の現場の鉄骨。あの辺のデフォルメされた赤色がなんともいい塩梅に思えて、その印象が今も響いているのではないか、そう考えると少し個人的に納得できたのでした。

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